人生の意味〜備えの大切さ
昨日、ある方から「人生の意味」を考えさせられる話を伺いました。その話の内容と感じたことから多くの学びがありましたのでシェアしたいと思います。
目次
人はいつ死ぬか生きるかわからない。ある意味生かされている
ちょっと重いテーマですが、自分の人生の価値を高める上でとても考えさせられた話でした。
それは3.11を体験し、生き延びた方の話でした。
津波がすぐ間近まで
車で移動中。地震が発生。目の前の道路に割れ目が広がっているのを見て、これは尋常ではないと感じたそうです。その後、営業先に届け物をしたあと、遠くに黄色い煙が立っているのが見えました。
身の危険を感じ、車に乗り込み煙とは反対方向に。車載のテレビには自分がいるエリアのすぐ近くに津波がきている映像が映し出されていました。
しかし、車は少し走ると渋滞。車を降り、ひたすら走ったそうです。その時にはすぐ間近まで津波が来ていました。間一髪、命からがら飲み込まれずに済んだそうです。
悲惨な避難生活
その方が被災したのは仙台。日本が誇る大都市です。ですが、物がない。水も食料も何もかもです。街の大きなホームセンターからあらゆる必需品が消えていたとのこと。
仙台自体が大きな被害を受けていただけに、物資は県外から届かなければ足りなくなります。しかし、東京ー仙台間は物流がストップしていて供給が間に合わない状況だったそうです。
お風呂に入れたのは1ヶ月と10日後。食事は1日に家族におにぎり一個という時や、二日間を家族でもおにぎり1個で過ごさなければならない時もあったそうです。それだけライフライン復活までは多くの時間を要しました。報道では知ることのできない現状に私は驚きました。「そんなに悲惨だったのだと」。
この日本で物が手に入らないことが起こりうるのだと。自分の認識が変わりました。
備えの大切さ〜教訓から学ぶ
その方曰く、仙台でその状況。本州と海を隔てている北海道なら2ヶ月は自分たちで生活できる準備がいるのではないかとおっしゃっていました。
今は自宅に最低1ヶ月は生きているだけの必需品を備えるようになったとのことでした。
2018年7月。平成最大と言われる災害が起こり、今もなお多くの方が避難生活を余儀なくされ、多くの方が命を落としたり被害を受けました。亡くなられた方には心よりお悔やみ申し上げます。
また被害に遭われた方々の生活が1日も早く良い状態になるよう願っています。
改めて感じます。備えることの大切さ。正しい情報を得る手段。何か起きた時の対応策。備蓄の大切さ。災害は予期せぬ形で自分の身に訪れます。備えることで被害を最小限に抑え、生きながらえることができる。そう感じました。
今、私たちにできること
備えることのほかに何かできることがあるか考えてみました。
一つは「知識」だと思いました。先述した内容と少し被りますが、
・正しい情報をいち早くとることができる知識・情報源を持っているか
・自分が行く可能性のある場所での避難場所はどこかという知識
・食料や日用品の備蓄に対する知識
・情報を正しく分析する知識
今、報道の中でこのような内容が多く語られています。垂れ流しで見るのではなく、目的を持って番組を見る時に必要な知識や情報が手に入ると思います。
今後の報道。心してみようと思っています。
人生何か起きた時には、「備え」の時は終わっている。人生というのはある意味、何かに「備える」ためにあるのではと思う経験でした。
追伸
「備え」。これは仕事においてもとても大切なことだと思いました。自分の知っていることだけで何かあった時に備えられるのか? 自分にはまだまだ知識が足りない。実践も足りない。と再認識しました。
自分の仕事をより価値あるものにしていくには、自分。お客様。社会の3つがWIN-WIN-WINになる考え方が必要だと感じています。そのことについて世界的ベストセラー「7つの習慣」の著者スティーブン・R・コビー博士の本を読むことにしました。
あなたの仕事で成果が出なくなった時
大きな損害を被ることになった時
うまくいかないと感じることが多くなった時
そんな時に備えられる知識をこれからも増やしていきたいと思いました。備える大切さ再実感する機会でした。
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